トップページ » クラス会報告 » 2002年度

2002年度

旧制化学科三回生近況

2010年02月24日(水)
関 集三(旧制3回)

 昨年11月24日、同期生の勝村龍雄さん(ダイソーおよび日東化成両会社相談役)が91歳で天寿を全うし逝去され、昨年12月18日には、お別れの会が大阪リーガロイヤルホテルで盛大に執り行われました。そもそも、昭和10年阪大化学科入学時は、19名でしたが、今日は老生と吉田統一さんの2名となり、吉田さんとは音信不通で連絡がとれない状態ですので、結局このニュースを執筆している老生一名の、この報告を致しておる始末です。この様な有様で、誠に心寂しい限りでおります。
 老生は、昨春5月25日、阪大時代の研究室卒業の皆様を中心とした、米寿祝賀会を催していただき、誠に有難いことでした。阪大卒業後、既に65年目になりますが、月1回の通院と毎週1回の腰痛リハビリをしてとにかく体調維持につとめ、毎月1回上京の、日本学士院例会出席も18年目となりました。阪大定年退官以来、山田科学振興財団の役員をつとめ、毎月1回の役員会出席も25年目になりました。この財団の会合では、化学科名誉教授の皆様にもお会いする機会にめぐまれ、有難いことです。
 明年から、国立大学の独立法人化が施行され、阪大も大きな衣替えをされる由、一昨々年10月に、化学高分子新築落成式にお招きいただいて既に3年目、概観と共に内容の新しい姿を拝見したいと念願しております。このたび新しい永契会会長に旧制19回生の渡辺英二様を迎えられる由、本会の伝統のもと益々のご発展をお祈り致します。
 
post by ホームページ管理 |

ニューズレター原稿の事

2010年02月24日(水)

河本於兎彦(旧制5回)


 事務局より近況に就いて書いて欲しいとのご要求がありましたが、85才を超えると、夫々肉体的に故障が出来、集合して食事する事が不可能となり、一昨年の会合で一応中止する事にし、事後は年一回、各人からハガキで近況を集め、世話役が編集し、各人に配付する事にしました。生存者は以下の通り、卒業時は20名。
 近況要約すると、順不同、敬称略。
木村 茂:最長老、景勝の地に住み、多くのヘルパーに囲まれ元気、時々大阪に出て、旧友と談笑とか。
米本義之:一人だけ関東住まい、近年腰を傷め、長旅不可能。
萩原信衛:全く元気、奥さんと二人、月に一回、三、四日の国内旅行を楽しんでいる由。
於勢真輔:腰痛を抱えているが元気。
大塚英夫:いつも返事はないが、電話では元気。
鈴木由辰:実験事故のためか、一度もクラス会出席なし、但し、近況は必ず返事あり。
河本於兎彦:訓練をサボったせいか、足の調子悪く、単独外出不可、改めてリハビリ検討中。

post by ホームページ管理 |

加藤俊二(旧制9回)


 昨年11月5・6の両日、浜名湖畔館山寺温泉でクラス会を開きました。私たちのクラスは昭和18年9月に卒業しましたが、その時22名いた級友も今では半数の11名となり、またその半分は何らかの故障をかかえていて、出席したのは6名になりました。しかし、出席者全員は80才を越えているのに非常に若々しく、悠々自適の生活を楽しんでおり、まだ当分はクラス会を続けられそうです。

post by ホームページ管理 |

旧制11回生のクラス会の報告

2010年02月24日(水)

松井邦夫(旧制11回)


 平成14年5月19日午後1時半より、リーガロイヤルホテルのスーパーバイキングで本年度のクラス会を行った。出席者は在米の中本一男君を加えて、小竹宏志、中田弘、松井邦夫、山崎太郎、米田速水の6名であった。ビールを飲みながら約1時間半、更にロビーでアイスクリームで1時間の歓談。話題は級友の近況、日米の社会情勢、健康状態、最後は葬式と遺骨に及んだのは平均年齢80歳の致す所か。記念撮影。解散後中田、山崎の両君は所用で帰宅。その他の者は理学部の跡地、大阪市科学館を訪れて、昔を懐かしむ。展示は物理学が主で、化学が僅かなのを嘆くも、旧大阪市立電気科学館の歴史の致すところか。その後、昔通学で歩いた道、阪大病院、出入橋、中央郵便局と大阪市の変貌に驚きながら大阪駅まで。再会を約して解散。
 今永勇二郎、桃谷政順の両君は出席を予定しながら健康上の理由で欠席されたのは残念であった。

post by ホームページ管理 |

12回生クラス会

2010年02月24日(水)

小佐井興一,森 泰(旧制12回)


 今年は天神祭前より猛暑が続き心配でしたが、秋の彼岸を過ぎると涼しく開催当日の11月20日は晴天に恵まれ三々五々会場の「天津閣」へ集まり総勢7名、一同の健康を祝して乾杯、天津閣での開催に至った経緯を説明し、お互いの動静、今は亡き友人、最近の話題等に談論風発、久し振りに参加の篠崎君より東京勢の情報、特に石塚君が母親に続いて奥様を亡くされ、それにもめげず頑張り、最近人工ダイアモンドが中国産に押され、何か新しい物を作り出さないと自分の会社が潰れると青年の様に一番張り切っておられるとの報告を受け、頼もしく思うと共に我等も逆に励まされた次第です。遠方から来られる人達の事を思うと新幹線の駅近くに会場を移す方が良いのではとの提案を受けて来年は参加者も増える事を期待し、新大阪駅の近くに新会場を探す事にしました。雑談を重ねている内に、欠席の芝君より電話が入り「関西日蘭協会の会合が終わり次第クラス会に駆け付ける予定でしたが、オランダの方を案内せねばならず行けませんので残念ですが皆様に宜しく」との言葉を聞き解散しました。

post by ホームページ管理 |

池中 徳治(旧制15回)



 私達旧制15回生が、卒業50周年の記念同窓会を平成11年4月13日に開催したことは、同年のニューズレターに掲載しましたが、この記念同窓会を機に、毎年1、2回同窓会を誰かが順番に世話をして開いています。全員喜寿を過ぎた老青年なので、会合は何時も昼1時頃から、大阪、京都近郊で椅子席の会場で、昔話や、病気や各自の健康状態の話に付け加えて、世界、日本の政治、経済の話もちょっぴり。昨年の11月22日は中西君の世話で、梅田、丸ビルの東天閣で5人が出席して同窓会を開きました。その時撮った写真です(右から宮原、池中、鈴木、三角、中西)。何時も出席する松浦君、長谷君は欠席でした。同窓生の近況は次の通りです。
 栗林俊介君は、長年、心疾患等で闘病生活を続けていますが、4年前には脳梗塞、昨年には肺炎に罹り、また重い心不全で危険状態になったようですが、快復して、体調のよいときには、クラシック音楽を楽しんでいるようです。
 鈴木啓介君は、停年退職後毎年旅行する国の言葉を勉強、昨年はルーマニアとロシアに旅行したそうです。それらの経験の結果わかったのは、生活が楽な国の言葉ほど初心者には易しく、取っ付きやすい傾向のあることだそうです。
 黒岩章晃君は、停年退職後、悠々自適、カメラを抱えて野山を散歩する日々を送っていましたが、昨年3月腫瘍のため右腎臓摘出、11月には前立腺癌の手術を受けましたが、癌の方は大丈夫との医者の保証があったようで一安心だそうです。
 中西正七君は、長年築き上げてきた(株)大阪合成有機化学研究所を他社に譲り、代表取締役を退任、顧問として余裕のある生活に返り、週1回のテニスと旅行を楽しんでいるようです。
 長谷綱男君は、これまで鹿児島市と茨城県土浦市の両方に家を構えていましたが、一昨年から茨城県の牛久市に移りました。体のあちらこちら故障があるようですが、年並みの元気はあるようです。時々は新幹線で大阪での同窓会に出席しています。
 古山晴久君は、相変わらず体調がよくないようですが、「日暮れて道遠し」という現況だそうです。
 三角壮一君は、第二の勤務先福井工大を退職し3年になり、時々学会には出席していますが、化学から遠のきつつあるようです。最近は13年前に始めたサンドブラスト法ガラス工芸にのめり込み、毎年、三越日本橋店、梅田阪急百貨店などでグループ展示会を開いて、多くの人に宣伝中。体験希望者の来宅を歓迎しています。
 松浦輝男君は、毎年4月1ヶ月間、中国、天津の南開大学に行き、学生を指導、後はメールで研究指導し、現在も第一線で活躍中。前立腺の手術で小さい癌が見つかったり、昨年は膀胱に小さいポリープが見つかったので、除去後、制癌治療を行っているようですが、元気な様子で、毎日、自宅近くの松浦(?)図書館で勉強しているそうです。
 宮原和彦君は、悠々自適とは言いたいのですが、最近、膀胱に異常が見つかり、検査を何度も受けているようですが、同窓会にも出席しているので、一応元気なのでしょうか。
 池中徳治は、帝塚山学院短大退職後は殆ど学会関係から遠のき、ロータリークラブ関係の活動だけをしています。今年の6月末まで2年間、国際ロータリー2640地区のガバナー補佐としてちょっと忙しい日々を送っています。体調も年相応なのでしょう。
 桐山(射場本)秀子さん、三輪(掛田)霞さんは体調がすぐれない様子で、松室博嗣君の近況は掴んでいません。

post by ホームページ管理 |

旧制16回生同窓会報告

2010年02月24日(水)

槌田 昭三(旧制16回)



 平成14年5月27日、28日の両日、古都奈良で開かれた2年ぶりの同窓会は、好天に恵まれお陰様で無事に終了することが出来ました。今回も、ご自身やご家族の健康問題或いは所用と重なって出席出来なかった方々が多く、2日とも参加されたのは木田、小林、榊原、中倏、槌田、望月、森の7名、初日の宴会のみ参加されたのは、関、永井、宗行の3名、同窓生19人中の10名に止まりました。
 27日午後5時、JR奈良駅に程近い「ホテルフジタ奈良」のロビーに集合、6時から7階の「花鏡」で宴会を行いました。まずこの2年間に物故された上園君と薮本君のご冥福を祈って黙祷を捧げた後、全員の健康と再会を祝して乾杯、その後、一人ずつ近況などを話して貰いましたが、夫々お元気で、リタイア後の生活を本当に楽しんで居られる様子が伺われ、嬉しい限りでした。
 宴席で2時間余りも話したのにまだ話し足りず、席を1階のバー「オールドタイム」に移して、結局10時近くまで喋り合いました。当夜帰られた3名の方々は、恐らく真夜中に近い帰宅になったのではないでしょうか。2年ぶりの再会とはいえ長時間心おきなく喋りあえるのは、やはり青春時代を共に過ごした友だからでしょう。翌28日は、8時に1階のレストラン「クリオール」で朝食後、チャーターしたジャンボタクシーで世界遺産を見学しました。まず、薬師寺で再建された西塔や国宝の仏像、それに平山郁夫画伯の大唐西域壁画などを見学、復元された伽藍の規模の大きさに驚くと共に、その事業を進められた歴代の貫主の熱意と努力に感心しました。次に行った唐招提寺は残念ながら目下修復中なので、時間の関係もあって外から見るに止め、次に秋篠寺へ。ここでは有名な技芸天を拝ませて貰いました。掘辰雄が「東洋のミューズ」と賞賛した優美なお婆と慈愛に満ちたお顔、それに時間を超越したお寺のたたずまいに、しばし浮世の喧操を忘れる思いでした。最後に、特別史跡として復元中の平城宮跡の中で一番東に位置する東院庭園を見学、恐らく外国の使者をもてなしたであろう場所で往時の繁栄を忍んだ次第です。丁度12時にホテルに帰着、皆で昼食を共にした後、2年後の再会を約して解散しました。
 お互いまだまだ元気とはいえ、歳相応の不具合も出てくる年代です。それに、悠々自適の毎日とはいえ、時には昔の友人と心おきなく話し合う機会もまた有り難いものです。我々の同窓会も、お互いが元気な間はいつまでも続けて行きたいと心から願っています。

post by ホームページ管理 |

旧制17回生同窓会報告

2010年02月24日(水)

大須賀昭夫(旧制17回)


 前年の卒業50周年クラス会に続いて。2002年5月15~16日に芳崎 保君のお世話で、彦根城の向いにある彦根キャッスルホテルでクラス会を開催しました。予定の5時前から三々五々に集まった一行は先ず籤引きで寝室を定め、先ず入浴。浴衣に着替えて6時半には宴会場に集合しました。7名の物故者の霊に黙祷を捧げて開会。西海四郎君のユニークな卓話を伺った後、型通りの乾杯から宴会に突入。出席者は写真の前列左から笹田、西海、有元、安藤、寒河、後列左から村松、八田、芳崎、井上、今村、浅井、西川、田島、大須賀、林の15名。喧々囂々たる歓談と『最新の自己紹介』、さらに宴会場から寝室に場所を移してからの様子はご想像におまかせします。翌朝は前日の深酒にも係わらず全員早朝より元気に起床、1年後のクラス会での再会を約して一応解散。彦根城や玄宮園を見学するグループと竹生島を目指すグループに分かれて新緑の下、それぞれの余韻を楽しみました。

post by ホームページ管理 |

旧制18回生クラス会

2010年02月24日(水)

早野和夫(旧制18回)


 昨年は卒業50周年を迎えました。記念の年でしたので、講演会をするか、一泊旅行に出かけるかなどが考えられたのですが、準備不足もあり、結局梅田の中華料理店に集まることになりました。関東から参加してくれた人もいて12人が集まり、学生時代の話から始まって最後はひとりひとり、その後の活躍ぶりや業績を熱っぽく語りました。50年の間に起きた出来事でほとんど忘れていたことも思い出され、大いに若返った気分になっていました。また金婚式を迎えた人や喜寿の人、さらには個人的に三重の喜びを味わった人もいて、卒業50周年の話題に花を添えてくれました。午後のひとときもあっという間に過ぎ、次回の幹事は大阪と広島をまたにかけて活躍中の花房君にお願いし、今回出席できなかった人々も含め全員元気に再会することを約束してお開きとなりました。
 なお、今回の出席者は清川、大島、近松、山部、早野、松本、大塚、大原、土岐、花房、中南、小林。

post by ホームページ管理 |

旧制19回生クラス会報告

2010年02月24日(水)

川岸功路(旧制19回)


 我々永契19回生は旧制化学科の最後の卒業生として今から丁度半世紀前の1953年3月に中之島の理学部校舎を巣立ちました。正確に50年前に旧制と新制のバトンタッチがあったわけです。この時のクラスメートの渡邊英二君が今回永契会の新会長に就任することになったのも不思議な巡り合わせのような気がします。
 長い永契会の歴史のなかで数々の輝かしい業績を挙げて、学界に社会に多大な貢献をしてこられた先輩後輩諸賢の活躍は同窓として誠に誇らしい思いです。
 わがクラスメートも大部分が第一線から退き、時間の余裕ができるようになったので、一昨年は東京で、昨年は10月22日に大阪でクラス会を持ちました。昨年は現存者25名の内18名が出席という盛会で、関東9名関西9名でドイツ暮らしの多い奥田君を含め久闊を叙した次第です。
 優れた先輩方に続き我々の仲間でも各界で活躍する者が多く、渡邊君(元日揮会長、日本化学工学会会長、勲三等)以外にも、長らくNYのロックフェラー大学においてガン研究の最先端の仕事をされ、ノーベル賞候補とも目された花房秀三郎君(文化勲章受賞、学士院会員)や固体の非平衡現象の研究で学士院賞を受けられた菅宏君(勲3等)、その他多士済々とは些か自賛が過ぎるかもしれませんが、それぞれの分野での権威者がかなりいるようです。
 クラス会ではお定まりの健康談義から学界業界の事情紹介もあり、海外視察あるいは遊覧報告、さては趣味の世界にまで話題は広がり、まことに力強い限りでした。
 閉会後、馬場、佐武、前川、川岸の4名が堺市上野芝にお住まいになる村橋俊介先生をお訪ねしました。94才になられる先生は奥様ともども実にお元気で、50年前の弟子達の報告に興味深く耳を傾けられ、時には的確な指摘をされるなど、五感記憶力とも頗るご健康なご様子に感嘆しました。萩原先生、故大塚先生、滝沢先生はじめ我々が教えを受けた先輩方のご消息や研究室時代の懐旧談も出て時を忘れて歓談させて頂きました。瞬く間に夕暮れが迫り、往時と少しも変わらぬ温容に師恩を改めて感じつつ辞去したことでした。

post by ホームページ管理 |