佐武邦夫、斉藤祐四郎
昨年度、東京で開かれたクラス会の余韻に浸っている間もなく、級友永井章文君の思いがけない訃報が届きました。 同君は平成17年に名古屋で行なわれたクラス会の幹事を引き受けて下さったので、唐突の訃報に戸惑いながらも、昨年度の在阪幹事の菅君が直ぐにお悔やみに駆け付けてくれました。 クラス会を世話して下さった当時から難聴、その他の体調不良を抱えておられたとのことでした。 少しも不調を口に出すことなく役目を果たしてくれたものと、口数の多くない永井君らしさを感じました。ご冥福をお祈りします。 我々のクラスでは18名がメイルのネットワークに参加しており、少なくともメンバーには即座に情報が伝達されます。 単に情報の交換だけでなく、紀行文、随筆、読書感想文などが随時送れてきて、楽しみの一つになっております。 米国在住の桝井君からは、大統領選挙の速報、その他の最新情報も届きます。 時々起こる文字化けなどもご愛嬌のうちで、ネット社会の恩恵を楽しんでおります。 今年度のクラス会は、11月11日に新神戸駅前クラウンプラザホテル34階の西向きの和食レストランで行なうことに決めました。 平成16年には同ホテルの東向き中華レストランで開催されたことがあって、大阪湾が一望できましたが、今回は神戸市と須磨側が一望できます。 昨年のクラス会での申し合わせ通り、今年から夫婦同伴も可ということで、足の不自由な花房君も車椅子で久し振りに参加されました。 会は逝去された永井君の冥福と、療養中の級友達の一日も早い回復を願っての黙祷で始まり、すぐに和やかな会食に移りました。 やはり女性が加わりますと、なんとなく雰囲気が和らぐ感じがします。食事が進むなか、恒例によって一人づつの近況報告が始まりました。 特異だったのは高橋君の報告で、阪大の前身にあたる適塾の創始者「緒方洪庵」の家系を丹念にしらべ、芦屋在住で曾孫に当る緒方初枝氏の記事のコピーを配布しての説明には、その徹底した調査ぶりに驚かされました。 4年ぶりに出席された花房君は、筋炎や肝臓腫瘍などのため大阪バイオサイエンス所長職を辞めて、専ら療養に努められているとのことでしたが、想像以上に元気そうで、口調も昔のままでした。 以前から同君の研究業績を詳しく知りたいという要望があったことを踏まえて、花房君は詳しい資料を配布し、出席できなかった分を取り戻すかのような熱弁でした。 大西君は画伯の名がふさわしいほど絵画に熱中しておられ、入選歴も増える一方です。 桑田君はクラスのHPを立ち上げてくれましたので、興味をお持ちの方は覗いてみて下さい(http://homepage3.nifty.com/rkok/index.html)。 佐藤君は原爆語り部として東奔西走の日々で、熱意のほどに頭が下がります。渡辺君は今でも同人雑誌「ほほづゑ」に名文の投稿を続けています。 入院のため昨年度の会を欠席された川岸君は、体調を回復して元気な姿を見せてくれたのは何よりでした。 昨年は空中都市マチュピチュ、その他南米各地を巡る大旅行を決行して元気一杯の岸本君は、今年は生憎と外国旅行の日取りに重なって欠席でした。 会の最後に以後の計画が話題になりました。平成13年以来、在京と在阪の幹事が1名づつクラス会を世話してきましたが、今年で一巡したのでどうするか?という問題です。 この年齢になれば、クラス会という非日常的経験は大変に貴重だという意見が多く、従って次のサイクルに入るということで意見が一致しました。 散会後は自由行動に移り、ロープウェーで山上のハーブ園へ、異国情緒溢れる北野の異人館街へ、そのほか思い思いの場所へ散りました。 その為の観光地図も予め配っておきました。久しぶりに参加された花房君はもう少し喋りたい様子でしたので、数名がロビーに陣取ってしばらく歓談を続けました。 以前からの持論でしたが、同君は学者らしく研究費配分に関する日本の現状を幾分か心配していました。更に回復が進んで、来年も元気な姿で参加されるよう期待しております。
左から(前列) 渡辺夫人、菅 宏、花房 秀三郎、神田 精一、奥田 暢、斉藤 祐四郎
(後列) 佐藤 良生、佐武夫人、渡辺 英二、川面 博司、花房夫人、大西 俊一、桑田 敬治、高橋 萠、川岸 功路、佐武 邦夫
[追記] 去る3月15日夕刻、花房君が肝不全で亡くなられたとの知らせを受けて、頭を殴られたような衝撃を受けました。 癌遺伝子は正常細胞内にあるとの研究成果で何度もノーベル賞候補に推され、ラスカー賞や文化勲章を受けるなど、学者としての大きな栄誉を得られた同君は、我々クラスの大きな誇りでもありました。 今回の会合での発言などを考えますと、突然の訃報は痛切の極みで、心よりご冥福を祈りたいと思います。 ロビーでの歓談が最後の姿になりましたので、その時の写真一葉を追加しました。