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クラス会報告

新制7回卒業生同期会

2011年03月05日(土)
蒲池 幹治(新制化7回)

今回も前回と同様に、幹事の山本正夫君のお世話で、大阪大学中之島センターにて、11月12日(金)12時半から昼食をしながら、同期会を致しました。今回は化学科の卒業生だけでしたので15名で、前回よりも参加者は減りましたが、前回は来れなかった人も参加し、久し振りの対面あるいは1年振りの対面に、半世紀前の話から最近の話題まで四方山話に花が咲き、歳を忘れた一時となりました。また、二人の日本人ノーベル賞受賞が報道された後であり、ノーベル賞談議でも化学科の同窓会らしい雰囲気になっていました。特に、東洋レーヨン時代にパラジウム触媒をいち早く手掛け、この研究に先鞭をつけた木地実夫君(鳥取大学名誉教授)の思い出話はリアルで、研究や会社の運営に携わっていたそれぞれの過去が甦る一時でした。
3時過ぎ、来年、横浜での再会を約束して、散会しました。

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2010年“ばげだす”の例会

2011年03月05日(土)
岩本 晢(新制化6回) 

本年の表題の会は川上、西尾、岩本三人が計画することになり、東京で5月20~21日に開催いたしました。20日ははとバスで観光することにし、まず皇居前では二重橋、楠正成の銅像も見ました。その後外国人観光客が多い「浅草の仲見世」、東京タワーに行きました。視界は良くなかったが、遠方に建築中の東京スカイツリーが見えました。みんなで東京を上から見物できました。
ホテルで夕飯になり、先日事故死した井畑君の回想、葬儀の模様の報告があり、適当に食事して、飲んで、会話して、宴会は終わりました。
翌日は「戦争遺跡を歩く会」の長谷川順一氏の案内で靖国神社を見学しました。大鳥居、さざれ石、大村益次郎の銅像、第二の鳥居、神門、祭儀所、拝殿、更に鳩、馬、犬の慰霊碑も見学しましたが、今次大戦にこんな動物を使用した国があるのでしょうか。偕行文庫、パール判事の顕彰碑も見学したが、極東国際軍事裁判の認識が種々あることも知りました。靖国の祭神になるための招魂斉殿も知り、最後に遊就館に入りましたが、回天、桜花等の兵器には慄然とさせられました。僅か65年前にこんな兵器で戦争をしていたのです。多くの兵器、飛行機、戦車等を見ましたが、虚しく、無謀な戦争で亡くなった多くの方には哀悼の言葉もありません。思い出すだけでも悲しい。
昼食後に近くの千鳥ケ淵戦没者墓苑に行きました。我々の到着の頃に海上自衛隊の将兵200人と楽隊100人が来場し、式典を始め、奏楽もあり、開式と閉式には全員黙祷し、司令官が献花しました。女性の兵士もいました。
この事務所で入手した資料には今次大戦で亡くなった日本軍将兵の地域別戦没者数が240万とあり、国内の戦死者は出てないが、台湾、沖縄、朝鮮、樺太、硫黄島の戦没者は出ており、中国では72万(中国約47万、旧満州約25万)、フィリピンでは52万です。
政府は無宗教の戦没者墓苑で外国からの賓客に献花をしてもらいたいが、これが一向に進みません。靖国派はそんな記念碑には猛反対をするでしょうが、いつになったら日本は靖国問題を解決するのでしょうか。来年の再会を約束して分かれました。


後列:吉川、諸石、吉川、石橋
中列:野崎、戸井、森永、米村、西村、高橋
前列:西尾、川上、岩本、石井、竹内

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新制5回同窓会

2011年03月05日(土)
畑田 耕一(新制化5回)

大部分の同窓生が本年喜寿を迎えるのを機に、7月11日千里阪急ホテル・プールサイドのサンシャインテラスで、3年ぶりの再会を楽しんだ。生憎の雨ではあったが、16人が集まり、中村君のピアノの名演奏と昼食を味わいつつ、過去・現在・未来の話に花が咲いた。今も研究の最前線で、ESRの医学への応用やがんの抑制機能を持つ遺伝子の研究に打ち込むもの、学園理事、会社のコンサルタント、雑誌の編集、出前授業、文化財の活用保存などの仕事に取り組むもの、図書館に行くたびに新刊書の購入を推薦するものなど、元気に社会に奉仕している様が伺えて嬉しかった。趣味もオペラ、コーラス、ダンス、スポーツ、エアロビクス、山登り、旅行、碁、篆刻、水墨画、手鞠作り、麻雀など多種多様である。医者の分からなかった肩の痛みを関節リューマチによるものと解明した話には、さすがは理学部卒業生と感心した。皆、体を大事にしようということで、再会を約した。

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前田 章夫(新制化4回)

化学科出身の第4回生は、その多くが公式な仕事から引退した後にも毎年のクラス会としての集まりを楽しんでいます。在住者の多い関西の地に住む薗頭、畑田、前田に世話役が振られた昨年2010年度の会は、5月18日に新緑が映える京都の蹴上で、先ず明治初期の京都の歴史を刻んだ琵琶湖疏水記念館で、今の京都の礎となった疏水の建設にあたった田邊朔郎博士をはじめとした人たちの苦労、業績などの説明を受け、館内を見学しました。そのあと、疏水の水をとりいれ東山を借景とした山縣有朋の無鄰菴で庭園をみて抹茶をたしなみ、疏水を導く水路閣のある南禅寺を訪ね、足に自信のある人たちはその三門から石川五右衛門のみた絶景を味わってきました。晩は、鴨川のほとり「KKRくに荘」で懐石を楽しみながら、それぞれのこの一年の活躍を披露しました。その際の出席者は全体の半数の写真にある17名で、ここ数年ほぼこの人数あたりで推移してきています。ただ、依然として仕事が忙しくて欠席される方もおられます。喜寿を超えたか超えようとしている人たちですが、まだまだ外に内に活躍の場を作っているようです。現役の時代にすぐれた成果をあげてきた人が多い世代ですが、昨年秋のノーベル化学賞のときに必ず引き合いにだされた薗頭カップリングの薗頭さんも我々の一員であることは、うれしく誇らしいことです。翌日は小雨模様のなか、京阪、近鉄をのりついで京阪奈丘陵へ、福寿園CHA研究所でお茶にまつわる諸事百科の説明をうけました。茶菓をたしなみながら、食品や化学の専門家から多くの質問がでて、研究員の人から丁寧な応答をうけました。午後は、関西光科学研究所を訪れ、畑田さんのかつての僚友である河西所長をはじめとした館員の方たちから、レーザを中心に光にまつわる最先端の研究成果の披露を受け、そのあととなりあった「きっづ(木津)光科学館フォトン」に移って光を利用した展示を楽しみました。この分野には現役のときから親しんできたひとも多く、楽しいひとときだったと思います。本年は、東に舞台を移し、関東在住の小林、辻、戸川、中川の4氏が企画してくれることになっています。元気な顔で集まれることを期待しています。
 

くに荘での宴席の前での集合写真。
後列左より、中川、崎山、杉岡、澤田、田井、中塚、小林、辻、田端、高木、前列左より、前田、戸川、奥戸、浅野、森田、今井、畑田の諸氏。

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芦田 玉一(新制化3回)

昭和30年(1955年)卒業の新制第3回生の同級会「立心会」は平成22年9月28-29日に、愛知県犬山市の名鉄犬山ホテルで9名が参加して開かれた。2年ぶりであった。
今回は東京・大阪の中間点でということで、名古屋在住の小生が世話係を仰せつかった。ホテルは水量豊かな木曽川に面し、国宝犬山城に隣接している。ホテル敷地内には国宝の茶室「有楽庵」があり、さらに、市内には城下町の歴史を感じさせる施設が多い。また、周辺には、博物館明治村、日本モンキーパーク、野外民族博物館リトルワールドなどの観光スポットが多い。
参加者は、(五十音順)芦田、伊藤、齊藤、佐野、鈴木(英生)、鈴木(不二男)、真下、向畑、米山の9名であり、やや淋しく感じられた。同級生28名中、物故者が5名、不参加が14名であった。内訳は、健康を害している者が6名、仕事で手が離せない者が2名、その他である。なかでも、配偶者の介護で留守にできず不参加という1名もあり、80歳目前という年齢と時代の変遷を身にしみて感じた。
当日は朝まで激しい雨が降り、心配していたが、雨は止み、午後には晴れあがって、素晴らしい秋日和になった。参加者それぞれに温泉を楽しみ、宴会・二次会へと進んでいった。久しぶりの会であったので、いろいろな話題、健康問題、近年とみにPRが激しくなってきたアミノ酸や多種の栄養サプルメント、突如起こった尖閣問題と強圧的な中国外交、貧弱な民主党政治、その他種々の時局問題等々について時間を忘れて語り合った。ところで、会を通じて飲んだお酒の量が、従来より著しく減少したが、これも年の故であろう。
立心会では、慶弔等に備えて積立金を持っていたが、今後は{立心会}としては対応を取らないことに決められた。そこで次回の会合に備えた少額を除いて、残額全てを返金した。体調不良で参加できなかったが、この作業を実行してくれた高橋君に感謝したい。
翌日も素晴らしい快晴であった。犬山城をバックにした写真を撮り、2年後の東京での再会(幹事佐野君)を約束して散会した。


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昭和29年卒業・KETION会報告

2011年03月05日(土)
山崎 尚(新制化2回)

新制2回・化学科は、卒業時35名、その後の物故者は12名、消息不明1名で現在22名になっている。そして、45周年、50周年等の節目の合同同期会以外の例会では、毎年7~13名が参加している。なお、別に東京地区で物理、生物、化学合同の同期会を毎年行っているので、関東地区からの参加者は、1~2名となっている。
また、KETION会という珍名称の由来については、故茶谷陽三氏が「50周年記念同窓会報告」の中で述べているので省略する。
卒業後56年を経て、年齢が80歳前後になると、さすがに現役の仕事に携わっている者は稀で、ほとんどの者が体力に応じて趣味の域で人生を謳歌(?)しているといえる。ただ、過去にそれぞれの専門分野において果たしてきた実績は、表に出て評価されたものもあれば、表に出ずに終わってしまうものもある。昨年、ノーベル化学賞を授与された3人の化学者も、50年近くたって評価されたものであり、我々も決して自負心を捨ててはいない。同期生の中でも今回の受賞者と研究分野が近く、意見交換をしたことがあり、非常に身近にあることを実感したものもいる。また、10年前ごろに業績を認められて、赤坂御苑での秋の園遊会に招待され、天皇陛下や皇族の方々と話を交わしたものもいる。我々が蒔いた種はやがて芽を出し、若い世代に受け継がれて社会に貢献することもあるだろうと、秘かに思ってはいるが、毎年集まる例会では、体の不調の話が中心になる。そして、お互いに顔を合わせる喜びにひたっているのが現状である。
写真は、昨年11月30日に豊中市のラ・メゾンブランシェで開催した例会での出席者で、前列左から、穂積幸男、今中利信、井上 健、後列左から、寺門 大、山崎 尚、中西 豊、多田晴彦の諸氏。


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五三会報告

2011年03月05日(土)
森 健男、由井 亮輔(新制化1回)

2010年の五三会は6月8~9日に神戸で開きました。この年は阪神淡路大震災の15周年に当りますので、初日に「人と防災未来センター」を見学することにしました。この大地震は、関東大震災以来の都市直下型地震として、人身・社会資本ともに莫大な被害をもたらした国内地震史上未曾有の出来事でしたが、映像や多くの展示によってそのショックを追体験し、6千余人め犠牲者に対し追憶の念を新たにした次第です。
そのあと続いて、メリケンパークの「海洋博物館・カワサキワールド」を訪ねました。ここでは神戸港にゆかりの英国艦船「ロドニー号」や珍しい帆船、現在のクルーズ船等の模型、ベニスのゴンドラ(実物)、奈良時代からの神戸港の繁栄と変遷の歴史などを展示していました。
夜の懇親会は三宮のちょっと変わった和風レストラン「燦SUN」で、河波 徹、北村 昌章、栗田 博行、堺谷 弘、菅江 謹一、関口 煜、高科 直光、鳥飼 国治、中島 隆雄、林 雄二、深田 和男、福井 俊郎、森 健男、矢野 嘉朗、由井 亮輔、吉田 良之助、諸君の他、見学会には不参加の川戸 峯子、清井 令子、関峋一、吉田 信男君らも加わって20名になりました。銘々の近況や趣味、年をとってからの処世・心構え、近頃思うことなど多彩なスピーチがありました。日帰り組を送り出した後、宿泊組は東急インに移り、恒例の二次会を開き、いつもの銘柄のワインで歓談、第一日を終えました。
翌日は中山手にある竹中大工道具館を訪れました。幹部の方々の丁重な応接を受け、その素晴らしい内容に一同感銘しました。建築材料、工法、道具、加工精度など、これらの進歩の歴史を理解できる一見の価値ある貴重なコレクションでした。参加者からの質問も多く出て、予定時間を超え、博物館側の熱意とも相俟って大へん有意義な行事になりました。


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旧制19回クラス会の報告

2011年03月05日(土)
川岸 功路(旧制19回)

2010年のクラス会を11月11日、懐かしい中之島の阪大センターで開催しました。 吾々が卒業したあと理学部、医学部、阪大病院の跡地が長らく無惨な姿で放置され、阪大OB の胸を痛めさせて来ました。幸い関係諸賢のご努力により由縁の地に大阪大学中之島センターが堂々たる雄姿を現して、阪大関係者交流の場を提供してくれていることは有難いです。4年前に一度利用したことがありますが、若い時代の学び舎の跡は懐かしく、またこの会をいつまで続けられるか知れぬ身を考えて、今回も古巣を選んだ次第です。前年の東京では学士会館で13名の出席でしたが、今回はそれを上回る14名が顔を合わせました。全員80歳の大台を迎えたのにこの1年間は誰も欠けることなく、欠席者もほぼ健康なのは嬉しい限りです。
在米の桝井秀雄君以外はみな関西、関東の便利なところに住んでいるので、毎年クラス会を開くことが出来るのも有難いことです。今年は 岩田 奥田 川岸 神田 岸本 桑田 齋藤 佐武 佐藤 菅 高橋 田川 中嶋 前川 が出席、大西 川面 馬場 和田 渡辺が欠席しました。 当日は12時開会、この機会を利用して適塾を覗いて来たと言う神田君を少時待って記念撮影。欠席者の事情紹介のあと乾杯し、桑田君の瑞宝中綬章受章を祝し順次スピーチに移りました。懐旧談、闘病談とアドバイスなどが続く中で、菅宏君の化学熱力学国際会議での名誉組織委員長として天皇・皇后両陛下との御下問奉答の様子や、佐藤良生君の多年に亙る核廃絶運動の国内外での活動報告に感銘を受けました。岸本博君の最近イラン事情や高橋萠君の珍品蒐集裏話は、そうざらには聞かれない話なので面白く聞きました。先般逝去された芝哲夫先輩との交流談が佐藤君から披露され、一同改めて惜別の思いを深くした次第です。暫く出席できなかった岩田君や昨年久しぶりに顔を見せてくれた中嶋君、壮絶な体験をされた神田君、その他の珍しい話に時を忘れ、予定時間を過ぎて次回の場に譲ることになりました。 次の幹事は神田、田川の両君にお願いします。
幹事:川岸 前川(文責:川岸)
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花房 昭靜(旧制18回)

我々の同期会は、ほぼ毎年1回開催されている。平成22年度は、早野、近松両氏と相談し、11月11日(木)に「大阪大学総合学術博物館、ミュージアムカフェ"坂"」で行った。参加者は、それぞれの都合で個別に、ランチの前後に、博物館の展示を見学した。思い出の多い中之島旧理学部の1階と2階の平面図を見ては、3年次に配属された研究室の位置などから、当時の研究実験やセミナーの様子、友人との討論や談笑を回想し、恩師の写真やご業績の記録からは、恵まれた教育環境で学習できたことに、改めて感謝の思いを募らせた。そのほか、豊中キャンパスを一巡して、浪高庭園や大高の森を訪れた人もいた。
晝食会は、好天に恵まれて緑鮮やかな待兼山麓の"カフェ坂"で簡素に行ない、参加できなかった旧友の返信などから、同期生の現状などについて語り合った。八十路を数年越えた我々の年令では、主題が老いの深まりによる心身両面のいろいろは悩み事になったのは、余儀ないことであろう。一方、専門の分野で小さいながら事業を展開している人、著述や講演を依頼され活躍する人、合唱団のメンバーとして発表会で美声を披露している人、園芸や囲碁のような趣味を楽しむ人もいる。
同期生25名のうち、現在の生存者は約6割であり、その多くは関西在住である。今回の参加者はそのうちの6名であった。(写真、いずれも右から、前列:山部人道、浜田新平、近松啓明、後列:大塚 滋、早野和夫の諸氏と小生)今年も、たとえ少人数であっても、集まることになっている。

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旧制17回クラス会報告

2011年03月05日(土)
寒河 潔(旧制17回)

2011年初現在、1951年卒業当時29名だったクラスメイトのうち10名が鬼籍に入られ、さらに消息不明の韓衡玉君(北朝鮮平壌市在住とか)を除く残り18名が現在人員。そのうち近畿圏在住11名、首都圏在住7名。
卒業以来毎年のように一泊でクラス会を開いていましたが80歳を超えた今日、少なからぬ人が宿泊や長距離の移動に自信がないということなので、09年9月29-30日に滋賀県長浜ロイヤルホテルで最後のクラス会を開催。浅井、安藤、今村、寒河、田島、西海、林、村松の8名が参加。以後はこのクラス会を会合から情報交換の会に変更し,年に1回程度各自の近況をまとめ「17会だより」として発行することに決定。09年暮れに第1号を発行、現在2号(物故者の追悼号)の編集中。会合としては両地区ごとに適宜昼食会を持つことにしました。
地区ごとの昼食会は関西地区が10年5月20日に京都駅JR伊勢丹内「不二乃」で浅井、有元、寒河、田島、西海、林および首都圏から安藤、今村の諸兄で、首都圏では同11月25日横浜相鉄ジョイナス内「いらか」で、このときは病気中の横尾君を除く首都圏在住の全員に関西から寒河、田島の2名が加わりました。
各集まりとも歳はとっても口は達者。談論風発で、店から追い出される迄3時間余を賑やかに過ごしました。気がかりなのは18名の殆どが見かけは元気でも何かの病気を抱ていることです。しかし誰もが前向きに力強く生きて行こうとの気力充分で、さすが高度成長期の日本を引っ張ってきたメンバーだと改めて思い起こしている次第です。

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