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高橋政司(新制化6回)


 2003年10月13~14日、大阪の河内長野で第17回目の同期会を催行しました。このところ、関東と関西とが交互に世話役を引き受け、年1回開催という方式が、ほぼ定着しています。今回は、関西の竹内さんが主担当幹事となって、計画を立案され推進されたもので、河内長野駅近くの「エルサンティ河内長野」を宿拍場所とし、関西在住の方々にご協力いただき、参加者は5台の車に分乗して近隣を観光いたしました。参加したのは、鬼籍に入られた方を除く同期生33名中の21名で、咋年の鎌倉での開催時と同じ人数でした。
 13日、2時に「エルサンティ河内長野」に集合し、まず天野山金剛寺を参観。ここは女人高野、あるいは南北朝時代に南北両朝が同じ時同じ場所に行在所をおいたことで知られているお寺です。境内の摩尼院では楠木正成の軍旗や正行が切腹しようとした櫻井の駅の「子別れの短刀」を見ることができました。次に河内長野の水源である滝畑ダムを見学し、磨崖佛を見るためダムの堰堤へ向かおうとしたところ、残念ながら4時が門限で入れませんでした。
 温泉に浸って疲れを癒した後、タ方からは例によって例のごとく、近況報告や懐古談など宴会の時間帯だけでは到底収まりきらず、寝室に席を移し時の経つのも忘れて歓談いたしました。
 翌14日、車を連ねて檎尾山観心寺、楠妣庵、楠公生誕地、建水分神社、寄手塚・身方塚を回りました。観心寺は楠木一族に関係するお寺で正成の首塚があり、楠妣庵は正成夫人の余生を送った場所、建水分神社は楠木家の守護神社、寄手塚・身方塚は正成が建てた敵と味方の戦死者の墓、というわけで、楠木正成ゆかりの場所巡りです。その終わりに、あいにくと天気がくずれだした雨の中、西行法師が没した弘川寺を訪れ、辞世の句「願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ」の歌碑や西行塚を眺め、その没年73歳に我々もかなり近づいてきたことに無常を感じさせられました。
 昼食後、来年の再会を約し解散しました。例年出席していた2~3の会員の不参加の理由として、体調不調のためとの近況を伺いましたが、体調を回復されて、次回は是非元気に参加されることを期待しています。
 なお、“ばけだす”という我々同期生が原稿を持ち寄って作っている文集は、本年3月第5号を発行しました。年々ページ数が増しており、寄稿者各人の文才に鷲かされている次第です。来春第6号の刊行も確実と思われます。

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