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旧制16回生同窓会報告

2010年02月24日(水)

槌田昭三(旧制16回)


 風薫る五月、その言葉通り湖北の山々は新緑に彩られ、琵琶湖の湖面には陽光が煙めき、遥か遠く比良の山並が青空にくっきりと浮かんでました。米原の琵琶湖湖畔に面したヨーロピアン・クラシック・リゾート「エクシブ琵琶湖」が、今回の同窓会会場です。中條君の紹介で、交通の便利が良く、しかも雰囲気満点のこの場所が設定されました。
 平成16年5月25日午後4時、懐かしい顔が三々五々ロビーに集合、久闊を恕し、お互いの健康を喜び、旧交を暖めました。
 今回の参加者は11名、木田、小林、榊原、関、中條、槌田、永井、宗行、望月、森、吉田の諸兄です。午後5時半、同じ館内の中華レストラン「翠陽」で懇親会を開催しました。まず乾杯で諸兄の健康を祝してから、望月君の司会で一人ずつ自分の過去や現在の状況を話しあい、大いに盛り上がりました。「何故、阪大理学部化学科を選んだか」という質問が望月君から出されましたが、やはりあの当時、理学部化学科には赤堀、小竹、千谷、仁田の著名な大先生が活躍されており、それに憧れてという理由が一番多く、改めて良き時代であったことに思いを馳せた次第です。
 今回やむなく欠席された方々も、詳しく近況を書き送って来て下さったので、全員に回覧しました。以下にその内容を要約して報告致します。市川君は最近奥様を亡くされた由、一同心よりお悔やみを申上げます。小幡君は肺がんの宣告を受けられたが、現在はほぼ正常に近い生活を送っておられる様子。岡田君はうつ状態が中々良くならず外出に不安あり、でも気持ちではこの会合に参加しているつもりとのこと。木村君は1年前大腸がんの手術を受けたが現在はOK、だが遠出は無理。黒川君は5年前の間質性肺炎後外出を控え、リハビリで体力を維持中。澤君は喉がんで入院したが、現在はOK、独りでの遠出の自信なくリハビリには励んでいるとのこと。中川君は最近目の調子が悪く乱視も加わって手が複数に見えるとか。村尾君は歩行困難で外出は無理、昔の同窓会の写真を懐かしく見ているとのことです。
 何れも我々の年代では良くある身体上の障害ですが、皆さん方身体は病んでも心までは病まず、リハビリ等で現状維持を心掛けておられる様子なので、また同窓会でお目にかかれる日も必ず来ると信じております。ヌーベルシノワーズ風の食事も美味しく、話は弾んで楽しく、2時間余りがあっという間に過ぎました。まだまだ話し足りないということで、席をロビーに移して更に1時間余り楽しく会話しました。どうしても今夜帰宅されねばならぬ永井君と宗行君を見送ったあと自室に帰り、三人一室で枕を並べて更にだベった後やっと眠りにつきました。
 翌26日も好天に恵まれました。8時に館内の「日本海」で和朝食を取り、9時にマイクロバスで湖北観光に出発しました。湖北には、古くから数多くの十一面観世音菩薩像が祀られていることで有名です。まず、渡岸寺観音堂の「国宝十一面観世音菩薩立像」の拝観です。木彫195cmの流麗な長身と崇高森厳な願容は平安初期を代表する傑作で、思わず合掌してしまいました。次は、己高山石道寺の「重文十一面観世音菩薩像」です。樫材一本彫極彩色の仏像で、ほのかに残る唇の紅がいかにも慈愛にあふれ、拝する人の心をいつまでも暖かく和ませて下さいました。青葉の緑滴る山懐に抱かれた小さなお堂、川のせせらぎ、そして民家の屋根瓦、忘れていた日本の原風景の懐かしさにしばし浸りました。
 この付近は己高山仏教圏として栄えた土地ですが、度重なる戦乱でお寺は荒廃し、現在はそこでお祀りされていた仏像類が「己高閣」「世代閣」という収蔵庫に納められています。次にこれを拝観しましたが何れも素晴らしいものです。でもどことなく美術展を見る様な感じで、やはり仏像は芸術品としてよりは、信仰の対象としてお堂に祀られてあるべきだとの感を深くしました。
 天文12年、ポルトガル人が種子島に鉄砲を伝来した後、根来、堺に続いて長浜に近い国友の地でその国産化が始まりました。鉄砲の普及が戦国時代の終焉をもたらしたわけですが、その原点の「国友鉄砲の里資料館」を見学し、改めて先人の技術力とモノ造りの情熱に打たれた次第です。
 長浜市内中心部の「黒壁スクエア」でマイクロバスを帰してから、榊原君推薦のしゃれたカフエレストラン「洋屋」で昼食を取り、午後1時に2年後の再会を約して解散しました。我々阪大理学部16回生は現在19名ですが、お互いのコミュニケーションも良く、この2年毎の同窓会を楽しんでおります。皆さんが元気で、何時までもこのような会合が続けられることを心より願っております。

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