2015年5月13日 菅 宏 (旧制19回)
英国では科学教育を進める一環として科学週間を設けており、今年は3月13-25日の10日間が当てられました。初等・中等教育を受ける生徒が中心ですが、全ての年齢層に科学・技術の発展やその恩恵の再認識などを目的として、さまざまな講演や実技が行われ、生徒達が熱心に受講している写真を見ることが出来ます。今年の大きなイベントはSchool Poster Competition、すなわち身の周りで観測される事象の科学的側面をポスターにして競い合うもので、学校の名誉に懸けて生徒たちの競争心が掻き立てられ、教師陣ともども張り切っているようです。探究心や科学への芽を育てる上で、大変良い企画かと感心しました。
オックスフォード大学からのNewsletterで、この期間中に「A forgotten giant in the hunt for DNA」と題する講演がK. Hall博士によって行われたという記事が目に留まりました。DNA研究での忘れられた巨人という人物なのですが、残念ながら私には未知の学者です。Hall博士は述べています。「Isaac Newton卿は自分の発見の多くは、幸いにも自分が巨人の肩に乗っかる機会があったから出来たと言っております。そう、多くの巨人の名前は記憶から消失してしまいがちです。そして忘れられた巨人の一人がWilliam Astbury(1898-1961年)なのです。約30年前、生化学を研究するためSt, Anne’s Collegeに赴任した時、彼が生涯の大部分を過ごしたLeedsの街は私の故郷であるにも関わらず、彼の名前は私には無縁でした。しかし、研究を始めて直ぐに、アストベリー博士が私の研究分野で大きなインパクトを与えた人物であることを知りました。
ノーベル賞学者のMax Perutz博士が、彼の研究室を「Ⅹ線研究のヴァチカン」と称するほどの国際的業績を挙げていたのです。物理学の教育を受けたのち、アストベリー博士は生体を構成する巨大鎖状分子に興味を持ちます。羊毛繊維に対する初期の研究は蛋白の構造に極めて重要な知見を与え、ヨークシャーの繊維工業界にも大きな影響を与えています。これが契機となって、生命の遺伝を預かるDNA分子に対する挑戦が始まったのです。その構造モデルを始めて提案しています。このようなアストベリー博士のことを聞く機会が無かった理由を考えてみました。ヨークシャーで行われたクリケット国際試合で、無敵のオーストラリアチームを打ち破った時の立役者Ian Bothamの名前は今でも覚えているのですが、その時の英国チームの他の選手の名前は殆ど思い出せないのです。スポーツの世界では華々しく活躍した選手の名前だけが記憶されがちですが、科学の世界でも同じことが言えるのでしょう。彼はDNA構造解析の國際競争に参加したのですが、真っ先にゴールに飛び込むことは出来なかったのです。しかしアストベリー博士の鋭い洞察は M.ウィルキンスと R.フランクリンの研究に引き継がれ、そこから F.クリックと J.ワトソンが正しいDNAの構造モデルを提案するに至った上で巨人的役割を果たしたのです。
彼が競争の一番手ではなかったにしろ、彼の科学的遺産を看過することはできません。生体機能は構成する巨大分子を通じて理解すべきであるという分子生物学を誕生させたのです。クラシック音楽の愛好者でもあった博士は、このような鎖状高分子こそ自然が選んだ創造の調和に相応しい楽器であると述べています。科学の熱心な推進者となった彼は、日常的言葉で分子生物学の考え方を訴え続けました。とっておきの逸話は、落花生から抽出した蛋白の分子構造を変えて不溶性にした繊維でコートを作らせたことです。生命現象を分子構造から理解しようとしただけでなく、分子レベルで性質を変えることも行ったのです。幸運にも私は地域の図書館で館員の一人が博士の孫であることを知り、これが切っ掛けで私は博士の伝記を書くことにしました。題目は The Man in the Monkeynut Coat: William Astbury and the Forgotten Road to the Double-Helix (Oxford University Press)です」
この記事を読んで私は恩師の仁田 勇先生のことを連想しました。理研時代に炭素の正四面体構造を実験的に証明し、若くして世界の結晶学界最前線の仲間入りを果たされたことは良く知られています。しかし、恩師の西川正治先生が行われた生糸、竹などの繊維状物質に対する先駆的研究の影響を受けられて、仁田先生も木材の繊維構造を調べるべく、そのX線的研究をされたことは余り知られていません[木材組織のX線的研究:仁田勇、X線、2, 111 (1941)]。仁田先生は繊維状高分子に並々ならぬ興味を持っておられたのです。日本におけるX線構造解析の黎明期で、仁田先生はアストベリー博士より1年後のお生まれです。32歳という若さで理学部化学科・物理化学講座を担当されてからは、基礎化学の立場から対象物質を選ばれましたが、繊維高分子の重要性をしっかりと認識し続けておられました。6年に及ぶ欧州滞在で最先端の高分子化学を学んで帰国された呉 祐吉博士が、適当な就職先が見付からないことを知られた仁田先生は、真島理学部長のご了解を得られた上で未だ埋まっていなかった研究室の講師の席を提供され、客員研究員として迎えられました。
やがて合成高分子の重要性を知った関西繊維業界から寄付された繊維高分子研究所へ、教授として移られた呉先生は直ぐに谷久也先生とご一緒に、グリシン誘導体からポリペプチドの合成やポリエチレンの物理的性質の研究をしておられます。村橋俊介先生など他の先生方も加わって繊維高分子の研究が次第に充実し、やがて高分子学科の誕生に繋がったのです。新学科へは高弟の一人である田所宏行博士が移られて結晶性高分子の構造解析に従事、また角戸正夫博士は蛋白研で生体高分子の構造解析に従事され、それぞれ大きな役割を果たされました。昨年の世界結晶年を記念して大阪大学博物館で開催された「魅惑の美 Crystal – 最先端科学が拓く新しい結晶の魅力」の展示会でも、これらの成果の一部が陳列されていました。高分子学科は化学科と協調しながら新分野の開拓を進めており、その発展の経緯を考えると仁田先生の卓抜した先見性に改めて深い敬意を表する次第です。