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2004年度

旧制化学科3回生現況

2010年02月24日(水)

関 集三(旧制3回)


 最近は、このニュース・レターでの旧制1,2回生の報告が跡絶え、私共、3回生のものが最初の報告となってしまいました。その3回生(昭13年卒)も吉田統一さんと小生の2名となりました。先日吉田さんの御家族からの御連絡で、吉田さんは前回同様引き続き御入院中とのこと、一応年齢相応の体調でおられるとのことで、結局、例年通り私の近況を申し述べます。
 私は昨年5月22日(誕生日翌日)、新設間もない大阪大学中之島センターで、阪大時代の研究室を卒業された皆様(26名)御出席のもと、老生の「卆寿祝賀会」を催していただき、誠に有難いことでした。顧みますと当時の研究室を出られた方で、阪大名誉教授は既に6名、自分が如何に古い人間になったか不思議な心境で振り返っております。老生の学士院会員生活も本年20年目、退官時に化学高分子学科としては初めてお認めいただいた研究センターは25年目、私共が設立に深く関わった日本熱測定学会の熱測定討論会は昨年度40周年を終えました。私が如何に古い人間に成ったか重ねて回想しております。
  去る1月5日、例年通り、両学科の現役教授と名誉教授合同の新年会(過去最高37名出席)に招かれ、既に独立法人となった大学の近況報告を拝聴しました。アメリカの例をみても、この新しい環境下で、同窓会が大学の発展に一層深く貢献すべき時代になったかつくづく痛感しました。永契会の存在がいよいよ問われるかと存じます。

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加藤俊二(旧制9回)


 ここ10年余り、私たちは1年半毎に1泊旅行の同期会を続けておりましたが、日帰りならば出席するという声があり、今回は京都の駅前ホテルで昼食会に集まりました。
 卒業時22名あった同期生も、戦死2名、結核で2名を早く失い、昨年、櫻井・島本の両氏も鬼籍に入り、現存9名になってしまいました。年令はとおに80を過ぎていますが、出席者は皆70代の若さを保っており、まだ当分は同期会を続けるつもりでおります。
 写真は前列右から中西・鳥居(卒業は14回ですが同期入学)・加藤俊二・同夫人、後列は阿部・加藤力太郎・大崎です。

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幹事 松井邦夫(旧制11回)


 我々は戦争中の昭和17年10月に入学し、終戦直後昭和20年9月に卒業した。今年は正確には卒業59年目、1年早く、60年記念のクラス会を10月9日、中之島センターで行った。当日は超大型台風22号の来襲を押して、11名が集まって盛会裏に健康を祝う。入学時には新人生29名に旧入学者3名を加えて32名であったが、卒業時には29名。現存者は18名、その内7名が健康、家庭、業務、交通事情で出席不能となったのは残念。氏名は写真参照。この内塩野、中本の両君は米国在住。鬼籍に入ったのは相沢吉彦、市井三郎、片山佐一、桂博二、斉木睦彦、佐々木大象、肥田博之、藤崎辰次、藤田長門、箕作よしお、吉川要三郎君のll名。卒業者の半数以上が生存していることを喜ぶ。
 60年振りの会合。名前を確かめ合う場面もあり、オーストラリア赤ワインで乾杯。話題は例の如く入学当初に受けた仁田先生(我々は先生方も全てさん付けで呼んでいました)の量子力学の講義、電子のpotential boxのショックに始まり、小竹、赤堀、千谷、槌田、佐多、渡瀬、呉、目、渡辺、金子、小泉、関、その他の諸先生の描写、次々と書かれる構造式、実験のトラブル、空襲、研究室の疎開の思い出等々、最後は葬式、法名の話と際限なし。定刻も過ぎ、来年は塩野君の来阪を機に大阪での再会を期す。終わってホールで集合写真を取って散会。
 記念写真の説明。前列左より中尾一宗、松井邦夫、中本一男、山崎太郎、米田速水、桃谷政順、後列、中田弘、小竹宏志、永田みはる、小西康英、斎藤修二。上段(欠席者)妹尾三郎、今永勇二郎、塩野良之助、三山創、沢由昌一、佐山俊三、堀部純男。(文責、松井邦夫)

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旧制12回生のクラス会

2010年02月24日(水)

宝蔵昇夫、森一泰(旧制12回)


 昨年11月17日(水)新大阪駅の近くのホテルでクラス会を開催しました。集まったのは写真左から森泰、小佐井興一、宗近道郎、尾山外茂男、宝蔵昇夫の僅か5名でした。我々12回の卒業生は27名、うち生存者16名。例年クラス会には7~8名は出席していましたので、今年は格別少ないことになります。数年前クラス会と他の行事が一重なった場合なるべく優先的にクラス会に出席できるようにと、クラス会の開催目を毎年11月の第3水曜日としました。また従来は十三の中華料理店で開催することが多かったのですが、東京や九州の遠隔地からの出席がし易いようにと、昨年から新大阪駅の近くのホテルで開催することにしたのですが、そのような考慮とは無関係のような結果になりました。僅か5名でしたが、尾山君の受勲を祝い、フグの刺身等を食い鰭酒やビールを飲んで愉快に歓談しました。小佐井君からは彼の豪邸と滝も池もある造成中の庭園の写真の回覧があり興を添えました。

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旧制化学科15回生の近況

2010年02月24日(水)

池中徳治(旧制15回)


 平成11年、卒業50周年を機会に毎年2回ほど開いている同窓会は平成16年も開催することが出来ました。しかし、残念にも昨年は同窓生二人を失う悲しい年でした。3月24日、長年闘病生活をしておられた栗林俊介君が欝血性心不全のため永眠され、また松浦輝男君が5月27日、癌のため逝去されました。
 卒業時18名だった同窓生は11名になりましたが、同窓会に集まれそうな方々を誘って、6月3日に世話係の池中の提案で、心斎橋のホテル日航地下二階の「日々一献」で、平成16年第一回目の同窓会を開きました。参加者は中西正七君、長谷綱男君、三角荘一君、宮原和彦君、池中の5名、長谷君は遠い茨城県牛久からの参加でした。同窓会後、戎橋筋で開催されていた三角君主催のガラス工芸展を見学し、同君等のすばらしい芸術作品を鑑賞しました。
 第二回目は11月25日、三角君の世話で、中之島の大阪国際会館12階のレストラン「グラントック」で同窓会の集まりを持ちました。鈴木啓介君、中西君、三角君、宮原君、池中の5名が出席し、新聞、テレビ上での話題についても話し合いましたが、自分の健康についていろいろ説明し合うのが主な話題だったような気がします。その後、昨年春に落成した「大阪大学中之島センター」を訪問、管理室の美しい女性の案内でセンター内を見学させて頂きました。立派な建物が建ちましたが、今後如何に大勢の人々に利用されるかがセンター発展の鍵になると思いました。
 今年も10名の同窓生全員に年賀状を出しましたが、桐山秀子さん、黒岩章晃君、松室博嗣君から便りがありませんでした。住所不明で賀状が帰ってこないので、年相応にお暮らしのことと推察しています。写真は11月25日の同窓会時の写真です。 (平成17年1月29日記)

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旧制16回生同窓会報告

2010年02月24日(水)

槌田昭三(旧制16回)


 風薫る五月、その言葉通り湖北の山々は新緑に彩られ、琵琶湖の湖面には陽光が煙めき、遥か遠く比良の山並が青空にくっきりと浮かんでました。米原の琵琶湖湖畔に面したヨーロピアン・クラシック・リゾート「エクシブ琵琶湖」が、今回の同窓会会場です。中條君の紹介で、交通の便利が良く、しかも雰囲気満点のこの場所が設定されました。
 平成16年5月25日午後4時、懐かしい顔が三々五々ロビーに集合、久闊を恕し、お互いの健康を喜び、旧交を暖めました。
 今回の参加者は11名、木田、小林、榊原、関、中條、槌田、永井、宗行、望月、森、吉田の諸兄です。午後5時半、同じ館内の中華レストラン「翠陽」で懇親会を開催しました。まず乾杯で諸兄の健康を祝してから、望月君の司会で一人ずつ自分の過去や現在の状況を話しあい、大いに盛り上がりました。「何故、阪大理学部化学科を選んだか」という質問が望月君から出されましたが、やはりあの当時、理学部化学科には赤堀、小竹、千谷、仁田の著名な大先生が活躍されており、それに憧れてという理由が一番多く、改めて良き時代であったことに思いを馳せた次第です。
 今回やむなく欠席された方々も、詳しく近況を書き送って来て下さったので、全員に回覧しました。以下にその内容を要約して報告致します。市川君は最近奥様を亡くされた由、一同心よりお悔やみを申上げます。小幡君は肺がんの宣告を受けられたが、現在はほぼ正常に近い生活を送っておられる様子。岡田君はうつ状態が中々良くならず外出に不安あり、でも気持ちではこの会合に参加しているつもりとのこと。木村君は1年前大腸がんの手術を受けたが現在はOK、だが遠出は無理。黒川君は5年前の間質性肺炎後外出を控え、リハビリで体力を維持中。澤君は喉がんで入院したが、現在はOK、独りでの遠出の自信なくリハビリには励んでいるとのこと。中川君は最近目の調子が悪く乱視も加わって手が複数に見えるとか。村尾君は歩行困難で外出は無理、昔の同窓会の写真を懐かしく見ているとのことです。
 何れも我々の年代では良くある身体上の障害ですが、皆さん方身体は病んでも心までは病まず、リハビリ等で現状維持を心掛けておられる様子なので、また同窓会でお目にかかれる日も必ず来ると信じております。ヌーベルシノワーズ風の食事も美味しく、話は弾んで楽しく、2時間余りがあっという間に過ぎました。まだまだ話し足りないということで、席をロビーに移して更に1時間余り楽しく会話しました。どうしても今夜帰宅されねばならぬ永井君と宗行君を見送ったあと自室に帰り、三人一室で枕を並べて更にだベった後やっと眠りにつきました。
 翌26日も好天に恵まれました。8時に館内の「日本海」で和朝食を取り、9時にマイクロバスで湖北観光に出発しました。湖北には、古くから数多くの十一面観世音菩薩像が祀られていることで有名です。まず、渡岸寺観音堂の「国宝十一面観世音菩薩立像」の拝観です。木彫195cmの流麗な長身と崇高森厳な願容は平安初期を代表する傑作で、思わず合掌してしまいました。次は、己高山石道寺の「重文十一面観世音菩薩像」です。樫材一本彫極彩色の仏像で、ほのかに残る唇の紅がいかにも慈愛にあふれ、拝する人の心をいつまでも暖かく和ませて下さいました。青葉の緑滴る山懐に抱かれた小さなお堂、川のせせらぎ、そして民家の屋根瓦、忘れていた日本の原風景の懐かしさにしばし浸りました。
 この付近は己高山仏教圏として栄えた土地ですが、度重なる戦乱でお寺は荒廃し、現在はそこでお祀りされていた仏像類が「己高閣」「世代閣」という収蔵庫に納められています。次にこれを拝観しましたが何れも素晴らしいものです。でもどことなく美術展を見る様な感じで、やはり仏像は芸術品としてよりは、信仰の対象としてお堂に祀られてあるべきだとの感を深くしました。
 天文12年、ポルトガル人が種子島に鉄砲を伝来した後、根来、堺に続いて長浜に近い国友の地でその国産化が始まりました。鉄砲の普及が戦国時代の終焉をもたらしたわけですが、その原点の「国友鉄砲の里資料館」を見学し、改めて先人の技術力とモノ造りの情熱に打たれた次第です。
 長浜市内中心部の「黒壁スクエア」でマイクロバスを帰してから、榊原君推薦のしゃれたカフエレストラン「洋屋」で昼食を取り、午後1時に2年後の再会を約して解散しました。我々阪大理学部16回生は現在19名ですが、お互いのコミュニケーションも良く、この2年毎の同窓会を楽しんでおります。皆さんが元気で、何時までもこのような会合が続けられることを心より願っております。

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永契(旧)17回クラス会

2010年02月24日(水)

大須賀昭夫(旧17回)


 2004年度クラス会は東京在住の笹田、安藤両幹事のお世話で、新緑萌える五月十一日~十二日、鎌倉の地で開かれた。参加者は関東在住5名、関西が6名の計11名。予定通り5時迄に由比が浜海岸に近い「鎌倉わかみや」に集合した。この日は真夏を思わす晴天で、汗びっしょり。部屋割りが済むと一同早速入浴。浴衣に着替えて小宴会場へ。乱れる前にと集合写真を撮影。前年のクラス会以後物故者の無かった事を祝して乾杯、欠席者の近況が報告された。会席料理にビールと日本酒が尽きると席を和室に移し、持ち込みのウイスキーとつまみで談論風発。健康関係の話題が多くなったのは歳のせいで仕方がないのだろう。第二に多いのはやはり化学の話、雀百までか。日付けが変わって各々の寝室に引き上げる。翌朝は幹事のお勧めに従って鎌倉散策へ。先ず訪れたのが宿舎に近い鎌倉文学館。古都の風情を好んだ多くの「鎌倉文士」の遺品を展示、建物は加賀前田家の別邸だったとか。次が長谷寺、板東三十三観音の第四番札所で、参拝者も多い。このあたりから、所要や時間の都合等で同行者が徐々に減少、流れ解散になる。なお2005年度は五月連休明けを狙い、奈良を第一候補地に計画を練ることになっている。
〔写真:前列左から八田、笹田、西川、有元、後列左から村松、安藤、寒河・大須賀・田島、浅田、今村〕

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化学科旧制18回生クラス会

2010年02月24日(水)

早野和夫(旧制18回)


 昨年は阪大中之島センターが開設されたので、ここの交流サロンでクラス会をやろうと考えましたが十数人の会合には不向きとのことで、急拠大阪駅前のレストランに変更しました。今回の話題は、岡田吉美君が瑞宝中綬章を受け、以前の学士院賞に続いて二重の喜びです。しかしながらその反面、クラス会の前日に大原隆君の訃報が入り、当日全員黙祷を捧げて会合に入るとは思いもしませんでした。席上学生時代の思い出話で故人を偲んだことはもちろんです。大原君も紫綬褒章や勲四等瑞宝章を受章しており、研究者としても大会社の経営者としても有能ぶりを発揮していましたので、いまさらながら彼の死が惜しまれます。
 われわれも健康に留意することは当然ですが、この年になると病気とうまく付き合わなければなりませんので、入院した人達の貴重な経験談に耳を傾けました。一方、メンバーの中の元気な人々といえばベンチャービジネスの責任者として活躍している人、化学教育や研究に情熱を注ぎ続けている人、ボランティアとしてコーラスに参加している人、さらには当日欠席でしたが、80才になろうかというのに国際会議に出席のためヨーロッパを跳びまわっている人など、これらの話をきいていると無為徒食の人間は強い刺激を受けました。この調子ならみんな毎年元気に顔を合わせることができると確信します。
 「写真」前列左から山部、原田、松本、清川、後列左から大塚、花房、奥山、栗岡、浜田、早野。

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林雄二(新制化1回)


 1953年卒の私達<五三会>は毎年初夏に例会を行っていますが、平成16年の会を宗像君と矢野君の世話で、5月27・28の両日に開きました。参加者は関東からの3名を含めて18名(河波、北村、栗田、河野、堺谷、菅江、関ロ、高科、出垣、鳥飼、中島、林、深田、福井、宗像、矢野、由井、吉田信男)。
 初日は高槻市にある<JT生命誌研究館>を訪ねました。お願いしていた中村桂子・館長が急用でキャンセルになったので、吉川寛・顧問(阪大名誉教授)が代わって講話をして下さいました。話はDNAの二重ラセン構造から始まりましたが、Watson-Crickがこの構造を発表したのは、丁度私たちが理学部を卒業した年に当ります。1時間以上に及ぶ最新の分子遺伝学の話を聴いてから、現物中心に展示している館内をガイド付きで見学し、日頃遠ざかっていた科学の世界で有益な時間を過ごしました。
 その後、近くの撮津峡にある温泉料理旅館へ移動し、有名な蒸し風呂で入浴して汗を流してから会食が始まりましたが、酒食も進み大いに盛り上がり、参加者全員が近況報告をして旧交を温めました。丁度時期も良く、日暮れ後の旅館前の谷川でかじかの声が聴けたのは思いがけず素晴らしい収穫でした。そう言えば、この旅館の名前は<かじか荘>でした。
 翌日には阪急電鉄で大山崎へ移動し、<大山崎山荘美術館>で立派な建物と美術品を楽しんだ後、近くの<サントリー山崎蒸留所>を見学しました。サントリーではウイスキーの試飲も楽しみましたが、中庭では佐治敬三・元会長の銅像にお目にかかりました。誰の作か忘れましたが、とても立派なもので大先輩の風格がよく出ていました。
 会員の殆どが既に現職を退いて時間に余裕も出来ていますし、関東在住者の間では既に忘年会が始められていましたので、「年に一度と言わず年末にも」と、2年前から関西地区でも忘年会を持つようになりました。昨年は12月8日タに前回と同じノボテル甲子園へ13名が集まって、楽しい一タを過ごしました。今年の例会は出垣君が幹事になって東京で開くことになっています。

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今中利信(新制2回)


 昭和29年(1954年)大阪大学理学部を卒業後、本年で50年を迎え、「光陰矢の如し」を実感した。
本会は毎年開催されているが、記念会との事で東西合同会を平成16年3月27日(土)、12:00~15:30,千里阪急ホテル1階「三楽」(中華料理)で開催した。はるばる東京から4名、 名古屋から1名、大阪周辺から11名の参加を得て、総勢16名で賑やかに始まった。
 50年間に生起した様々な出来事、身の上話や健康に関する話題などの四方山話に花が咲き、楽しい一時を過ごすことが出来た。会食後、記念写真を撮影し、次年度の幹事2名を推挙して終了した。引き続き二次会を2階の「さくららうんじ」で参加者全員が参加して語り合い、時の過ぎるのを忘れた。最後に次年度の元気な再会を願って散会した。(2004年度幹事 岡田洋一・今中利信)

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