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クラス会報告

槌田 昭三(旧制16回)

平成22年3月31日、千葉に在住の榊原君が久し振りに来阪されたので、その機会を利用して、旧制16回卒業生の集まりを企画した。 関西在住の同窓生でも、我々の年代になれば、持病などいろんな事情で参加できない人が多く、結局、榊原、関、中條、望月の諸兄と私の計5名のミニ同窓会になった。
午前11時半、 大阪駅構内のホテルグランヴィア大阪のロビーに集合し、19階の和食レストラン「浮橋」での会食から、我々のささやかな同窓会が開催された。いつもの様に皆の健康と再会を祝しての乾杯後、夫々に家族の近況などを話し合った。
古くからの友人の有難い所は、たとえ久しく離れていても、直ぐに打ち解けた雰囲気がかもしだされることである。皆も一見して元気そうだが、寄る歳波には勝てず、夫々に身体の不調を抱えている。でも一病息災のことわざ通り、皆、色々と工夫しながら健康維持に勤めている様子が伺われた。
これもまた老人の癖かも知れないが、現在の世相に対する批判を含め、昔は良かったとの昔話も始まり、阪大理学部時代に教えを受けた先生方や諸先輩の話など、昔を懐かしむ話にも花が咲いた。
ここで2時間ばかり話し合ったが、話の種は尽きることがない。そこで、同じフロアのラウンジ「リバーヘッド」に席を変え、更に歓談を続けた。歳の所為か、自分自身の健康を含め不自由さが増えているが、その不足を憂うよりも、現在を喜ぶ心境に近付いて来ている。お互いに、安心立命の境地に近付きつつあるのを実感した。
時間はいつの間にか流れ、まだ話したいことは山ほどあっても、夫々に疲れが見え始めたので、2時半に終了、またの再会を約して、大阪駅で解散した。 学校を卒業してから半世紀以上を経過しても、直ぐに昔の学生時代に戻れるのは、同じ釜の飯を食った物同士に与えられた特権であろう。そして、お互いに元気を与え、お互いに元気を貰いつつ、これからの人生を生き抜いて行けるのも、我々に残された喜びの一つであることを、改めて確認できたミニ同窓会であった。
この集まりに声をかけた同窓生の吉田崇君は、奥様の健康状態のため、当日残念ながら欠席されたが、電話でのお声は極めてお元気そうであった。でも、昨22年9月28日、胆嚢がんで急逝された。その知らせを受けた時には容易に信じられぬ思いであったが、一昨年には同じく同窓生の宗行龍之祐君が亡くなっており、我々もその年代に入って来ていることを痛感させられた。両君のご冥福を、心よりお祈りする次第である。

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旧制9回近況

2011年03月05日(土)
加藤 俊二(旧制9回)

同期生は22名が卒業しましたが、高澄・西村の両君が戦死、遠藤・木村・飯塚・寺島の4君が結核などで早世しましたが、他は70才くらいまでは元気で居りました。その後、年を追うごとに一人また一人と逝去、昨年は中西・中根の両君も鬼籍にはいりました。
現在、健在なのは阿部・大崎・中崎の3君と私。岡本・徳田の両君は音信不通です。
小生昨年卆寿に達しましたが、膝に痛みがあって長距離は歩けない外は健康で、隣に長女一家がいるものの一切その世話にはならず、専業主夫をこなしています。一見10才くらいは若く見えるらしく、その秘訣を尋ねられることが多いのですが、小酒・節食で、腹を立てず、いらいらしない事の外、特に健康法を行っているわけではありません。子供たちは「百才まで元気で居れ」と言いますが、そうも行かないでしょう。


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多田 晴彦、 穂積 幸男(新制化2回)

 本年の例会は、あいにく雨の降る薄ら寒い日でしたが、名古屋から下条君ご夫妻が車椅子で一番乗りの参加をして頂き感激しました。常連の岡田君は川柳の句会と重なり、川崎君は体調不良のため欠席でしたが、10名の参加者で賑やかな一時を過ごす事が出来ました。地上140メートルのスカイレストラン河久からの眺めは、雨が上がると共に視界が開けて素晴らしい眺めでした。
 しかし話題の中には、各自の怪我や病気の話、更には老老介護の話も多く出ました。これも皆が後期高齢者ですのでやむを得ないことだと思います。来年以降の幹事については、在阪の元気な9名が出来るだけ同じ回数になる様に、順番を話し合いで決める事になりました。その結果、来年の幹事は寺門、山崎両君にお願いする事になりました。
1. 日時: 2009(平成21)年11月11日(水) 13:30~16:00
2. 場所: 河久 大阪駅前第3ビル 33階(最上階)
3. 参加者: 井上、今中、下条、寺門、中西、山崎、山本、多田、穂積
        付き添え参加:下条婦人
4. 幹事の順番(来年のみ確定し、以後は話し合い)
        寺門、山崎、中西、井上、山本、岡田、今中、多田、穂積
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渡辺英二


 昨年(2009年)11月17日に東京の学士会館にてクラス会を開催しました。出席者は13名。大西、奥田、川岸、川面、神田、岸本、桑田、佐武、佐藤、菅、中島、前川、渡辺の諸君。欠席者は7名。岩田、斉藤、高橋、田川、馬場、桝井、和田の諸君でした。
一昨年(2008年)のクラス会では文化勲章受章者の花房君が夫人同伴で久しぶりに顔を見せてくれたのですが昨年春になって急逝し、今回クラス会の前々日には森君が亡くなりました。したがって当初31名だったクラス会メンバーは11名の物故者を除いて20名となります。会合は花房、森両君への黙祷のあと参加者の健康を祈願して乾杯をすることで始まりました。
 大西君は本格的な絵描きとして活躍しています。毎年都美術館で彼の作品が展示されていますが、題材に遺伝子のヘリックスや銀河鉄道が入っていたりするのがユニークです。奥田君は医者知らずの健康そのもので子息や孫達の住むヨーロッパにたびたび出かけています。川岸君は脊柱管狭窄の手術後別人のように元気になり、来年のクラス会幹事を引き受けてくれるそうです。川面君は謡で声を出すのが唯一の健康法で、まだ弟子をとって教えているとのこと。神田君は週二回のテニスで50歳台の人と対抗して負けない由。岸本君は病気を抱えながらも世界中を旅しているのに驚きました。桑田君はパソコンでいろいろ工夫をすることに熱中しているそうです。佐武君は歴史研究に打ち込んでいるようで新発見のマキムク遺跡の邪馬台国説に興味深々とか。佐藤君は誰しもご存知のとおり原爆被害の語り部として活躍中。菅君はいまだに学問と芸術の最先端情報を我々に伝えてくれます。中島君は何十年ぶりかで顔を見せてくれましたが、日常介護の苦労にもめげず若さを保っています。前川君は相変わらず元気で碁を楽しんでいるとのこと。来年のクラス会では副幹事をしてくれるそうです。私渡辺は健康で美術館めぐりをしています。我々も80歳台にはいり、それぞれ身体的にはどこかに故障をかかえているのですが、健康に留意して頭脳の衰えを防ぎ、クラス会が今後も続けられるようにしたいものです。   以上年クラス会報告(2009.11.17)


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佐武邦夫、斉藤祐四郎


  昨年度、東京で開かれたクラス会の余韻に浸っている間もなく、級友永井章文君の思いがけない訃報が届きました。 同君は平成17年に名古屋で行なわれたクラス会の幹事を引き受けて下さったので、唐突の訃報に戸惑いながらも、昨年度の在阪幹事の菅君が直ぐにお悔やみに駆け付けてくれました。 クラス会を世話して下さった当時から難聴、その他の体調不良を抱えておられたとのことでした。 少しも不調を口に出すことなく役目を果たしてくれたものと、口数の多くない永井君らしさを感じました。ご冥福をお祈りします。 我々のクラスでは18名がメイルのネットワークに参加しており、少なくともメンバーには即座に情報が伝達されます。 単に情報の交換だけでなく、紀行文、随筆、読書感想文などが随時送れてきて、楽しみの一つになっております。 米国在住の桝井君からは、大統領選挙の速報、その他の最新情報も届きます。 時々起こる文字化けなどもご愛嬌のうちで、ネット社会の恩恵を楽しんでおります。  今年度のクラス会は、11月11日に新神戸駅前クラウンプラザホテル34階の西向きの和食レストランで行なうことに決めました。 平成16年には同ホテルの東向き中華レストランで開催されたことがあって、大阪湾が一望できましたが、今回は神戸市と須磨側が一望できます。 昨年のクラス会での申し合わせ通り、今年から夫婦同伴も可ということで、足の不自由な花房君も車椅子で久し振りに参加されました。 会は逝去された永井君の冥福と、療養中の級友達の一日も早い回復を願っての黙祷で始まり、すぐに和やかな会食に移りました。 やはり女性が加わりますと、なんとなく雰囲気が和らぐ感じがします。食事が進むなか、恒例によって一人づつの近況報告が始まりました。 特異だったのは高橋君の報告で、阪大の前身にあたる適塾の創始者「緒方洪庵」の家系を丹念にしらべ、芦屋在住で曾孫に当る緒方初枝氏の記事のコピーを配布しての説明には、その徹底した調査ぶりに驚かされました。 4年ぶりに出席された花房君は、筋炎や肝臓腫瘍などのため大阪バイオサイエンス所長職を辞めて、専ら療養に努められているとのことでしたが、想像以上に元気そうで、口調も昔のままでした。 以前から同君の研究業績を詳しく知りたいという要望があったことを踏まえて、花房君は詳しい資料を配布し、出席できなかった分を取り戻すかのような熱弁でした。  大西君は画伯の名がふさわしいほど絵画に熱中しておられ、入選歴も増える一方です。 桑田君はクラスのHPを立ち上げてくれましたので、興味をお持ちの方は覗いてみて下さい(http://homepage3.nifty.com/rkok/index.html)。 佐藤君は原爆語り部として東奔西走の日々で、熱意のほどに頭が下がります。渡辺君は今でも同人雑誌「ほほづゑ」に名文の投稿を続けています。 入院のため昨年度の会を欠席された川岸君は、体調を回復して元気な姿を見せてくれたのは何よりでした。 昨年は空中都市マチュピチュ、その他南米各地を巡る大旅行を決行して元気一杯の岸本君は、今年は生憎と外国旅行の日取りに重なって欠席でした。 会の最後に以後の計画が話題になりました。平成13年以来、在京と在阪の幹事が1名づつクラス会を世話してきましたが、今年で一巡したのでどうするか?という問題です。 この年齢になれば、クラス会という非日常的経験は大変に貴重だという意見が多く、従って次のサイクルに入るということで意見が一致しました。 散会後は自由行動に移り、ロープウェーで山上のハーブ園へ、異国情緒溢れる北野の異人館街へ、そのほか思い思いの場所へ散りました。 その為の観光地図も予め配っておきました。久しぶりに参加された花房君はもう少し喋りたい様子でしたので、数名がロビーに陣取ってしばらく歓談を続けました。 以前からの持論でしたが、同君は学者らしく研究費配分に関する日本の現状を幾分か心配していました。更に回復が進んで、来年も元気な姿で参加されるよう期待しております。




左から(前列) 渡辺夫人、菅 宏、花房 秀三郎、神田 精一、奥田 暢、斉藤 祐四郎
(後列) 佐藤 良生、佐武夫人、渡辺 英二、川面 博司、花房夫人、大西 俊一、桑田 敬治、高橋 萠、川岸 功路、佐武 邦夫



[追記] 去る3月15日夕刻、花房君が肝不全で亡くなられたとの知らせを受けて、頭を殴られたような衝撃を受けました。 癌遺伝子は正常細胞内にあるとの研究成果で何度もノーベル賞候補に推され、ラスカー賞や文化勲章を受けるなど、学者としての大きな栄誉を得られた同君は、我々クラスの大きな誇りでもありました。 今回の会合での発言などを考えますと、突然の訃報は痛切の極みで、心よりご冥福を祈りたいと思います。 ロビーでの歓談が最後の姿になりましたので、その時の写真一葉を追加しました。
 


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久保 孝史


 昨年夏の大阪で開いた同窓会に続いて、2回目は東京で開きました。池袋駅東口から歩いてすぐのところにある、GINTOというカジュアルレストランで会食を楽しみました。同窓会を開いた日はちょうど日本化学会春季年会の会期中で、年会に参加していた河野君、竹崎君、宮武君も同窓会にかけつけてくれました。岩手の冬を経験した河野君は、豪雪の生活に戸惑うことも多かったようですが、休日は家族でスキーを楽しんでいる様子で、岩手に徐々に染まりつつあるようです。竹崎君はレーザーや大学の話に花を咲かせていました。(ゲームの話も出てきた気が...)。前回の同窓会に参加できなかった宮武君は、ますます恰幅がよくなっており、4月から始まるメタボ検診が少し心配な様子でした。年度末で大変お忙しいせいか、東京方面からはあまり人が集まらなかったのですが、唯一丸岡さんが参加しくれ、昔から変わらない陽気な口調で皆を楽しませてくれました。油本さんは東京の美術館を観て帰阪するとのことで、いっときの東京生活を楽しんでいる様子でした。豊田君と安田君はわざわざ大阪から同窓会のためだけに足を運んでくれました。豊田君は年度末でとても忙しいらしく日帰りとなりましたが、5月3日に開かれる永契会総会にはまた顔を出してくれるそうです。安田君は最近ファッションにこだわりが出てきたようで、男に磨きをかけているようでした。
 入学当初に作成した自己紹介冊子を安田君が、理学部進学時に撮影した集合写真を竹崎君が持参してくれて、当日の話題をいっそう盛り上げてくれましたが、近年の個人情報の取り扱いから集合写真もなくなったと聞き、一抹の寂しさも覚えました。
 ところで、昨年夏からの宿題であった同窓会の名前は、「燦久会」 に決まりました。その名の読みは39回生と参加者並びにお世話になった諸先生・諸先輩方への感謝の気持ちを英語の「サンキュー」に引っ掛けて、また漢字には契りが永く続く永契会の傘下で,きらめきが久しく続くように,という想いがこめられています。その想いに応えるべく、今後も同窓会を頻繁に開いていくつもりです。これまで参加されていない方々も、次回はぜひご参加ください。ご連絡をお待ちしております。(連絡先:久保研究室)


左から 竹崎、豊田、河野、久保、宮武、丸岡、油本、安田
会場 : 銀兎(GINTO) 池袋店

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佐藤 良生、菅 宏


 今年は満年齢で数えて喜寿を迎える級友が多い年になります。金婚式を迎える友もいます。恒例となった年一度の同窓会を重ねる毎に、出席者の数が減るのは自然の理であることを百も承知していながら、現実に級友の訃報に接すると落ち込むことがあります。無意識のうちに自分の未来を重ね合わせるのでしょうか? 昨年の山辺政守君に続き、年が明けて平成19年8月20日、クラスで最も活動的だった永田明穂君の思わぬ訃報が届いて愕然としました。この年齢になるとお互いの近未来に対してすら、何も想定できなくなったことを強く認識した次第です。お通夜には佐藤良生君が、告別式には岸本博君が駆けつけ、また特に親交の深かった花房秀三郎、渡辺英二君からは懇篤な弔電が届けられました。
 今年度の同窓会は11月14日、皇居外苑の楠正成像の近くにある楠公レストランで開かれ、13名が出席しました。松を中心とした緑あふれる旧江戸城の広大な敷地内にあって、晴れ晴れとした雰囲気に包まれています。何時ものこと乍ら、会えば即座に中之島時代に戻れる仲間達です。さまざまな思いを遺して逝ったであろう学友の冥福を祈る黙祷で会は始まり、その後は出席者の健康と、欠席者本人または奥方の速やかな不調回復とを祈る乾杯で食事会が始まりました。各自が持参した近況報告書(B5版1枚)、有志持参のスケッチ、欠席者の近況情報、思い出や珍しい経験談などで、自ずと会話が弾みました。不本意ながら車椅子生活を強いられている級友の一人からの要望で、次年度からは夫婦同伴も大いに結構という声が直ぐに上がりました。当日は屋内にいるのが惜しいほどの絶好の小春日和に恵まれましたので、食事のあとは在京の渡辺英二君の案内で皇居外苑や東御苑などを散策しました。
 永契会会長を務める同君の行動力は抜群で、クラスでも羨望の的です。首都圏に住んでいても、このオアシスに足を踏み入れるのは始めてだという人もいました。小鳥の囀りや虫の鳴き声に耳を傾け、また晩秋の素晴らしい景色に見惚れながらの楽しいお喋りに、時の過ぎるのも忘れるほどでした。以上で次年度幹事の斉藤祐四郎、佐竹邦夫の両君にバトンタッチします。
 


(左から)前列 奥田 暢、渡辺 英二、桑田 敬治、斉藤祐四郎、佐藤 良生
中段 佐武 邦夫、大西 俊一、川面 博司、菅 宏
後段 高橋 萠、前川 清二、岸本 博、神田 精一

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伊藤 民生


 1953年4月、当時北校(旧浪速高校)と南校(旧大阪高校)に分かれていた教養コースを終えて中之島の理学部化学科に集まったのは28名。丁度高分子化学と生化学の勃興期に際会し、錚々たる教授陣に恵まれてひたすら勉学にいそしむ(?)ことが出来たのはまことに幸いなことでした。まだ戦後復興期で不自由なことも多い時代でしたが、それぞれに良い思い出を残して55年に卒業、吉川君の提案でクラス会を"立心会"と命名しました。    
 卒後間もなく仁田君を病で失ったあとは、昭和ヒト桁生まれは成長期に栄養に恵まれなかったので短命であろうとする説が一時あったにもかかわらず一人も欠けることなくリタイア期を迎えることが出来ました。しかるにここ数年の間に、浅田、福塚、藤原の諸君が相次いで去って逝ったのはまことに残念なことです。ということで現在会員数は24名。 
最近はほぼ隔年でクラス会を開催しています。箱根、神戸、奈良と来たので今回は関東の順番に当たり、米山、佐野、城、伊藤が世話役となって最近発展著しい横浜のみなとみらい地区で開催することとなりました。
 07年5月16日、296mの日本一の高さを誇る横浜ランドマークタワーの上層階を占めるロイヤルパークホテルに集合、参加者14名。夕食は中華街の老舗にでかけました。食事を楽しみながらお決まりの近況報告。それぞれに趣味を大切に自適の日々を送っているなかで、現役で頑張っている城君(病いを克服しながら呼吸器医療機器の輸入開発に奮闘)と向畑君(高知工大で多糖類とエコロジーの融合めざして大実験中)に拍手。会の幹事、会計、永契会担当を選出。ホテルに戻って世話役の部屋で窓外の横浜の夜景を眺めながらダベリ会。心臓や脳の不具合の経験談や腰痛などの身体の不調が話題に上るようになったのは、70台半ばという年相応というべきか。今回参加出来なかった人も多くは健康上の理由で元気回復を祈らずにはおれません。
 卒後50年に当たる2年前の奈良での集まりで佐藤君の提案で作ることとなっていた記念文集が、向畑君の努力で編集、制作を終わり当日配布されました。見開き2ページ、写真入りで各人それぞれ学生生活あるいは社会生活を回顧し、クラスメートの連帯を確かめるよすがになったと思います。
 翌朝は階上の和食レストランで小雨にけぶる横浜港を眺めながら朝食。ホテルをチェックアウトしてタクシーで港の見える丘公園へ。大仏次郎記念館やバラ園、外人墓地を巡り、開港時代の横浜を偲び、雨上がりのベイブリッジを観望、山下公園をぶらぶら歩き、大桟橋たもとの北欧料理店で名物料理に舌鼓を打って昼食、再会を約して解散。
 次回は08年9月大阪で開催する方向で準備が進められている模様、少しでも多くの旧友が相集いたいものです。


写真前列左より 伊藤、米山、鈴木(不)、城、高尾
  中列左より 窪田、鈴木(英)、真下、吉川、佐野
  後列左より 向畑、稲塚、高橋、芦田

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久保 孝史


 2007年の永契会総会にて豊田君と安田君、それに久保が偶然にも再会し、過去や現在の話題で盛り上がる内に、久々に39回生の同窓会を開こうではないか、という話になりました。大阪大学理学部化学科に入学してから丁度20年が経っていましたので、いい節目であったのも同窓会を開くきっかけの一つでした。とはいえ、どの程度の人数が集まるか見当も付きませんでしたので、とりあえず関西近辺にお住まいの方々に声をかけ、ミニ同窓会の形で人を集めることにしました。上記3名が幹事役となり、二桁参加を目標に準備をすすめていましたが、結局声をかけた殆どの方が参加してくれ、計14名で同窓会を開くことができました。
 一次会は、北新地にある「サントリーダイニング&バー 水響亭」で行いました。大変洒落た店で、部屋の中に水槽が置かれており、観賞魚を眺めながらの同窓会となりました。学生の頃に比べ随分と立派な体格になった人もおり、最近話題(?)のメタボリックシンドロームを心配しましたが、近況報告で全員の元気な様子と現在の活躍ぶりを感じることができました。一次会では物足りない人も多く、二次会に自然と足を運ぶことになり、近くの居酒屋で飲み続けることになりました。二次会の席で、一次会の盛況ぶりから、今後頻繁に同窓会を開こうじゃないかという話になり、まずは次の同窓会を来春の化学会春季年会に合わせて東京で行うことになりました。幹事を根本君にバトンタッチし、準備を進めてもらうことになりました。
 同窓会に参加希望の方は、久保までご連絡いただければ(下記HPを参考にしてください)、根本君の連絡先をお伝えします。特に関東にお住まいの方は振るって御参加ください。(文責 久保孝史)



写真の説明
前列左から 永坂、油本、安田
中列左から 田中、久保、河野、矢野
後列左から 竹迫、竹崎、湯浅、豊田、根本、今城、笹原

会場 : サントリーダイニング&バー 「水響亭」


39回生同窓会の同窓会名を募集しています。 同期の方は、良案があれば久保までご連絡ください。

久保研究室
http://www.chem.sci.osaka-u.ac.jp/lab/kubo/Start.html

次回の同窓会(2008年3月予定)で名前を決定したいと思います。

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旧制化学科3回生現況

2010年02月24日(水)

関 集三(旧制3回)


 最近は、このニュース・レターでの旧制1,2回生の報告が跡絶え、私共、3回生のものが最初の報告となってしまいました。その3回生(昭13年卒)も吉田統一さんと小生の2名となりました。先日吉田さんの御家族からの御連絡で、吉田さんは前回同様引き続き御入院中とのこと、一応年齢相応の体調でおられるとのことで、結局、例年通り私の近況を申し述べます。
 私は昨年5月22日(誕生日翌日)、新設間もない大阪大学中之島センターで、阪大時代の研究室を卒業された皆様(26名)御出席のもと、老生の「卆寿祝賀会」を催していただき、誠に有難いことでした。顧みますと当時の研究室を出られた方で、阪大名誉教授は既に6名、自分が如何に古い人間になったか不思議な心境で振り返っております。老生の学士院会員生活も本年20年目、退官時に化学高分子学科としては初めてお認めいただいた研究センターは25年目、私共が設立に深く関わった日本熱測定学会の熱測定討論会は昨年度40周年を終えました。私が如何に古い人間に成ったか重ねて回想しております。
  去る1月5日、例年通り、両学科の現役教授と名誉教授合同の新年会(過去最高37名出席)に招かれ、既に独立法人となった大学の近況報告を拝聴しました。アメリカの例をみても、この新しい環境下で、同窓会が大学の発展に一層深く貢献すべき時代になったかつくづく痛感しました。永契会の存在がいよいよ問われるかと存じます。

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